【特集】障がい者スポーツ

上村 英俊

 猛烈な勢いで走り出したかと思うと素早くタイヤを止める。その後キュッキュッと悲鳴のような鋭い音が体育館に響く。パス!パァス!怒号と言っていい太い声がこだまする。ボールをドリブルする音、金属がぶつかる音、車椅子が倒れる人が床に落ちる鈍い音、一瞬の間のあと構わず続く一連の音。車椅子の格闘技という別名を目と耳で実感する。すごい。熱い。なにこれかっこいい!

運命の出会いは必然に

 車いすバスケチーム『薩摩ぼっけもん』の練習日に鹿児島市小野にあるハートピアかごしまの体育館で練習を見学させてもらった。話を伺ったキャプテンの上村英俊さん(47)は30歳のとき仕事中の事故により下半身不随になり、以来車椅子の生活となった。入院中にリハビリ担当の理学療法士から車いすバスケのことを教えてもらい運命の出会いを果たす。
 「いや当時はまだインターネットも成熟していなくて情報を得る術もあまりなかったし、そもそも健常者の時は家族や親戚にも障がい者がいなかったから接点がなくて、障害者スポーツという概念が無かったんですよ。障がい者になって初めて知ったのが車いすバスケだったのでそれしかなかったというか」と笑うが、中学生の頃から空手をしていた上村さんが初めてであったのが車椅子の格闘技と呼ばれる車いすバスケだったのは必然だったのかも?

クールなバスケ車 クレバーなプレイ

 上村さんが普段使用している車椅子(日用車)もイケてるけれど、試合用の車椅子(バスケ車)は別次元のかっこよさ。フルオーダーメイドで、価格も30~50万円もすると聞くと高いと思いがちだけど、どんな分野でも専用の道具は高いものだしオーダーメイドなら尚更。
 試しに乗ってみますかと言われ乗ってみたんですが、いやはや、昔入院中に乗ってた車椅子とは全くの別物。耕運機とF1マシンくらい違う。すいと一こぎしただけでシュンと進むんですよ!軽くて速くて羽があったらこなかもという『飛んでる』感。歩けるけれど走ったり跳んだりは出来ない私でも自由に走れる快感。魔法の絨毯はこれだったのか!
 そんなクールなバスケ車で行う車いすバスケは激しく且つ厳しい。接戦になるとどうしてもバスケ車同士が接触し転倒することも多いそうで、その時は自力で起き上がるのが基本というルールに驚いた。しかもボールを持ったまま転倒すると相手チームのスローインになるとは。
 それでも体の一部のように車椅子を自由自在に操り、転倒の危険顧みずがむしゃらにボールを追う。奪う。早い試合展開の中で瞬時に状況を判断して仲間と声を掛け合い相手の攻撃をかわしてボールを回す、シュートを決める。ただ激しいだけじゃなくすごく頭も使うんです。難しいけれどこれこそがチームプレイの醍醐味で面白いところなんですよ、と心底嬉しそうに語る上村さんの顔は輝いてました。

境界のない世界

 近年は健常者も参加するチームが増えているそうで、実際に『薩摩ぼっけもん』にも健常者の方がいらっしゃいました。のみならず中学生、高校生、女性の方も。練習中は鬼キャプテンに変身した上村さんが諸々関係なくみんなに発破と圧をかけまくり、対する方も手加減も遠慮もなしでガンガンぶつかっている姿を見たら、変な話笑いたくなってきました。羨ましすぎて。チキショウいいなぁこの世界!
 曽於市から参加している高校二年生の大迫立己(りき)くんのご両親はこう語ります。
 『私達は息子に対して少々過保護なところがあり、本人も引っ込み思案だったんですが、車いすバスケを始めてからすごく変わりました。勉強とピアノも頑張るようになったし、私達が送迎できない時には電車やバスを使って一人で練習に行けるようにもなって、明るく積極的になりましたね。やはり同じ障がいを持つチームの皆さんが色々教えて下さるのが大きな力になってると思います。』

車いすバスケからイスバスへ

 車椅子というツールを使い、持ち点制を用いれば年齢や性別、障がいのある無しに関係なくチームを作れて一つのスポーツが出来るってよく考えたらすごくないですか!?これこそ平等で究極のバリアフリーじゃないですか!?小学校の体育館で障がいのある子と無い子が一緒になって車いすバスケしてて、オリンピックの正式種目になった『イスバス』をテレビで見てる未来がみえるんですけど?決して私の戯言で終わらない日が来るような気がします。障がい者と健常者が一緒にやってるからではなくて、単純にとても面白くてかっこいいスポーツだから。
 まずは2020年の東京パラリンピック。そして鹿児島国体が今からめちゃくちゃ楽しみです。

松元 初子

松元さんとの出会い

 ガイドヘルパーさんと一緒に現れたのは小柄で可愛らしく笑顔が素敵な全盲の松元初子さん。88歳の障がい者とは思えないほど、元気で明るくパワフルな方です。
 インタビューが始まる際、うっかり普通の名刺を渡してしまった取材陣に「目が見えないものでねぇ、点字の名刺だったらよかったのにねぇ」とこちらのミスにもおおらかな笑みを返してくださりました。
 どうしたらこんなに元気で笑っていられるんだろうかともっとお話を聞きたくなってきました。

障がいを乗り越えて

 もともと明るく頑張り屋さんの松元さんは20代の頃、音楽や踊りが大好きで、宝塚音楽学校に行きたいという夢があり、「周囲の反対も耳に入らないほどだった」のだそうです。
 そんな松元さんが45歳のとき、緑内障での失明が突然襲いました。1年ほどはお見舞いも受け付けられなく、ひどく落ち込み涙を流す日々。しかし、松元さんの元気を取り戻したのはご自身の努力と福祉ヘルパーさんとの出会いでした。
 「失明した時、私ができないことをサポートしてくれたのよ。それ以来、人の情けにすがりながら元気いっぱいすごしています。目が見えなくなってから色んな苦労もあったけど、皆さんのお蔭でケラケラ笑って過ごしているのよ」と笑顔で語ってくれます。周りの方々への感謝の気持ちも忘れない松元さんのやさしさに心を打たれました。

スーパーマンのような存在

 周りの方の反応を聞くと、松元さんの元気な姿に周囲も圧倒させられている様子がうかがえました。
 ヘルパーさんが来ない日はご自身で家事をされており、ガスの元栓を毎回締め、周りを触り声を出して確認。帰宅時は、誰もいなくても「ただいま」というのを欠かさないと言います。毎日夜しか自宅に居らず、歩くのが好きで前向きな松元さんを見てると、これが健康の秘訣かと感心させられました。
 元気な姿と周りを和ませてくれる松元さんのお話が楽しく、時間が足りない程でしたが、卓球と風船バレーの練習にも同行させていただきました。
 盲人用卓球を体験させていただくと、パッと見た感じは難しそうに見えなかったのですが、私たちが目を閉じて体験したところラリーが一回も続かないという始末です。
 松元さんの競技している姿は、球が来た位置にラケットが当たって私たちよりスピードがあり、しっかりラリーができていました。体験後、松元さんの競技を見ると超人の様に見えます。
 相手の「行きまーす」の声を待っている間も鼻歌を歌いながらラケットを持って踊っている姿はとてもチャーミングでこちらもいつの間にか笑顔になっていました。
 今回の取材で松元さんは「障がいを持っていても、年をとってもこんなにできるのよ。何も出来ないではなく、自分の好きな仕事をできますよ。それに歩くことはとても良い。ということを多くの方に伝えたい」と語り、私たちにも『やりたいことをしよう!それが私のやること!』とやりがいを持ち行動できる勇気をいただきました。「病気の時も私には仕事がある!生きなきゃ!生きなきゃ!と思った。私はくよくよしない!いつも前向きよ」と語る姿は障がい者や高齢という壁を感じません。
 松元さんの元気で明るく優しいスーパーマンのような姿は『動く』ことの素晴らしさ、前向きな生き方を教わるようでした。